1998年11月14日
この季節、ブータンでもスポーツの季節になり、アーチェリー大会、ゴルフ大会、テニス大会、卓球大会、バレーボール大会などいろいろな大会がと行なわれている。もちろん私もスポーツが大好きなので、これらの中から日程的に合ったテニス大会に出場した。
翌週の1998年11月8日よりテニス大会が始まった。私は、男子シングルスと男子ダブルスにエントリーし、この大会のために2週間前から毎朝練習をしていた。ちなみにエントリー費は、1種目430円。
テニスコートは、自分の家から歩いて12分のところに3面ある。コート自体決していいとはいえず、ハードコートなのにイレギュラーはすごいし、サイドラインの50cm横はもう芝になっている。ここは一応会員制で、年間ブータン人が2,300円、外国人が13,000円でやり放題ということになっている。
日本の物価で考えると年会費が13,000円でも十分安いのだが、私の感覚ではとても高い。ブータン人価格との差はなんだ、と言いたくなる。そこで、ブータンテニス協会会長に「協力隊はあまりお金が無いので安くしてくれんか?」と頼んでみると、親日家の彼はこころよくOKの返事をくれ、私はブータン人価格と同じ年会費2,300円で会員になることができた。
とにかく、なんでもそうだがここでは、言わないと値段が下がっていかない。とにかく交渉力が重要になってくる。
そのテニスコートに明るくなる6時30分くらいに行くと、誰かがいるので一緒に練習をすることができる。みんな個人でテニスを練習しに来るので、お互いに声を掛け合ってできる雰囲気がいい。テニス人口がまだ少ないのでコートがうまってしまうこともない。
また、ここではスポーツは男性がするものといった観念がまだ大きく、練習に来ているのは9割以上が男性である。今回のトーナメントの参加者も、男子シングルスが24人に対して、女子シングルスはたったの6人だった。
男子シングルス1回戦は高校生が相手だった。試合開始直前に「まずお茶を飲もう!」と言われ、ブータン茶をすすってからの試合開始であった。ボールとコートを決めるトスでは「どっちだ?」と聞かれて「スムース(表)だ」と言ったら意味が通じなかった。てっきりラケットの表か裏で決めると思っていたら、「どっちの手にコインが入ってるか?」で決めるらしく、右か左の選択を審判は聞いていたのであった。
試合は朝8時に始まり、最初いきなり3ゲームを連取されたが、体が暖まってくるにつれて調子がでてきて、それから一気に12ゲーム連取し、結局6-3,6-0のスコアーで勝つことができた。
2日後の2回戦の相手は、何と第1シード近年無敗の7年連続チャンピョンと当たってしまった。もしこれに勝てば優勝も夢ではないと、優勝商品の「パロ(ブータン)デリー(インド)航空券」を意識し「3週間後の任国外研修旅行の旅費が少し安くなる!」と頭をよぎったが、いらぬ心配であった。予想通りチャンピョンは圧倒的に強く、1-6,0-6といとも簡単に負けてしまった。
その後行なわれた男子ダブルスの1回戦の相手も、このチャンピョンのペアーであった。「組み合わせをしくんだな、あのおやじ!」と一瞬頭にきたが、強い相手にチャレンジするのも悪いことではない、と気分を変えて挑んだ。私は、協力隊事務所員の同じ日本人とペアーを組んでいた。
結果は、2-6,4-6で負けてしまったが、実力を考えれば健闘したほうだろうと案外納得がいった。
隣のグランドでは、バレーボール大会が行なわれていた。ブータンにも体育館はあるのだが、天井が低いことや、天井の電気を防護していないなどの理由で使えないらしく、野外で催されていた。グランドといっても、柔らかい土に近くビーチバレーのコートみたいだ。「よくこんなところでジャンプできるなぁ」と思いながらも、結構盛り上がっているのを見て楽しかった。
11月11日はブータン国王の誕生日で、そのため10日(火)〜13日(金)まで祝日となり、実質的には11月7日(土)〜15日(月)まで、ブータンのゴールデンウィークとなっていた。年末年始休みやお盆休みもないブータンでは、1年の中で最大の連休となる。11日には、ブータンの国立競技場で国王の誕生日を祝う式典が行なわれ、主にブータン伝統の踊りなどが披露されていた。