山国ブータン王国−65(日本語教師)

1998年7月24日

 1998年7月4日(土)同じ首都ティンプーの日本語教師隊員がどうしても都合で、日本語クラスの授業ができないということで、この日私が日本語教師の代役を買うことになってしまった。

 はっきりいって人生27年間で人を教えることなんて初めてで、結構緊張して、朝から何を教えようかずっと迷っていた。時間は午後3時から5時のたった2時間なのであるが、本当にそこまで自分の怪しい英語で続けられることができるのかなぁなんて思いながら、考えに考えて隊員連絡所にあった「96年紅白歌合戦(ふ、古い!)」のビデオを見せながら教えることにした。

 クラスの生徒は、みんな10代のブータン人男女10人で、中学生高校生だった。みんな日本語を習い始めて間も無い子達なので、教えた言葉は実に簡単なものだった。「よろしくお願いします」「ありがとう」「すみません」など基本の単語だけ5つくらい教えてみた。昨年、ゾンカ語を習った時の経験から、2時間でそんなに異国の言葉を覚えられるもんではないということを感じていたので、5つ以上は教えなかった。

 後半はラッツ&スターの「夢で逢えたら」をローマ字にして歌詞を用意して、みんなで歌うことにした。テンポがゆっくりだし、歌いやすいかなっと思ったのでこの曲を選んだのだが、ブータン人にはちょっと難しかったように感じた。

 結果は、初めてなのであまり手応えは感じなかったが、日頃の電話局の仕事とは一味違う世界で新鮮だった。以来、毎週土曜日の午後は、日本語教師隊員と2人でこの「日本語教室」の先生となっている。いい体験だし、英語のスピーチの練習にもなるので、これからも極力参加しようと思っている。

 日本語を教えてみて分かったこともあった。例えば、数字の「百」を教えた時、ブータン人は「ひゃく」となかなか発音できなくて「はく」になってしまう。どうも「ひゃ」の発音が難しいようだったり、逆に「四」を教えた時、「よん」の「ん」はmなのかnなのか?と尋ねられて、どっちでもいいよと答えたのだが、ゾンカ語では「ん」にも2種類の発音があるんだと分かったことなど、改めて気付く事がある。

 先月6月から本当の首都隊員となり、今までの現地人と一緒に寝泊まりする生活とはおさらばになったので、現地交流の方法も当然違った1年になりそうである。これからは、「日本語教室」やいろんな種類の「パーティー」や「スポーツ仲間」など、首都ならではの交流方法で、もう1年を切ってしまった残りの任期を楽しくやっていこうと思っている。



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