山国ブータン王国−64(3号隊員報告書-2)

1998年7月24日

隊員活動報告書

 (2) 支援体制

  A.支援経費の使用計画

 平成10年の12月に、ブータン全国電話線路地図製本代として、約7万円の使用を計画している。これは、今回のプロジェクトの施工記録と首都ティンプーの図面を中心にして、この12月までに収集可能な資料や情報を、1冊の本にまとめて多くの電話線路部門のスタッフに配り、役立ててもらおうというプランである。

 これまでも、誰かが作った図面はあるにはあるのだが、管理や保管場所があいまいで、せっかく役に立つ図面があるにもかかわらず、浮かばれてないのがとても気になっている事である。それも、全部この本にまとめて電話線路部門の決定版になるようになればいいと考えている。

  B.その他の支援の必要性

 ティンプー内の加入者分岐箱による電話障害が多発しているため、分岐箱の改良の検討を進めようと思い、そのための研究用材料費を考えている。詳細が固まりしだい、何らかのアクションをとるかもしれない。

  C.活動期間延長の有無と後任の必要性等について

 私は、最初から2年間の活動と決めているので、任期延長はしない。

 後任の必要性については、ブータン電話局が決めることだと思っている。今の私の活動は、特に継続的なものではないので、私の活動の引継ぎが必要ということはない。

 ブータン電話局側が、ブータン電話局員の目から協力隊員を見てどう思っているかが、重要なことである。重要じゃないと思っているのに、後任隊員を派遣しては、その後任隊員がかわいそうなだけだと思う。

 (3) 出張生活

 8ヶ月にわたって、3つの町の線路工事を行なう間、いろんな事を体験したように思う。現地スタッフと24時間一緒に生活していたので、日中だけでなく仕事時間外でも、いろんなことがあった。

 自分自身との問題かもしれないが、約8ヶ月間続いた出張生活は、やっぱりしゃれにならなかったと思う。思い返して見ても、よく続いたなと自分で感心してしまう。

 「これが、協力隊だ!」と言われたら何も言えないが、やっぱり苦しかったと思う。精神的に不安になると、たいした事でもないのに怒ったり、現地人を疑ったりなど、この生活で、自分の弱さがよく分かったかもしれない。

  「ハ」について

 自分でよく考えた結果、次の新設線路工事場所「ハ」には行かないことに自分で決めた。理由はいくつかある。

 まず、パロ、プナカ、ウォンディと8ヶ月間一緒に出張工事をやり、言うべきことは、すべて彼らに言ったこと。そして、プナカ、ウォンディでは、最終試験で1つもミスが無かったこと。3つの町の線路図面や試験記録を作成し「ハは、君がいなくても作れるよ、だから大丈夫だよ」とカウンターパートが言ってくれたこと。パロ、プナカ、ウォンディに比べて、「ハ」はとてつもなく田舎町であり重要性が薄いこと。

 「ハ」の工事は、本当は5、6月で終る予定だった。実際私も5月11日から6月27日までの通行許可書を取得していて、同行する予定であったが、電話局の都合で7月にずれこんでしまった。自分の計画に、活動がちょうど1年となる7月からは、本来の私の任地であるティンプーで、市内の図面作成をやるなど私なりのプランがあり、この工事の遅れは計算外であっ
た。

 さらに、7月に入って雨季になってしまい、作業の進捗がはかどらなくなってきている。そのため、「ハ」の工期が3ヶ月近くかかると予想されている。この1年でティンプーでのやりたい活動や任国外などの予定があるなかで、この3ヶ月は私にとっては長すぎる。

 また、現在ティンプーの電話事情は必ずしも良くない。6月に、ティンプーの電話障害調査をした時、4000回線しかないティンプーエリアにおいて毎日約20件の苦情があることが分かった。主要原因は、市内の加入者分岐箱の欠陥ということが考えられている。この分岐箱の改良研究も、予定活動の1つである。

 このような、いくつかの観点から考えて、「ハ」の工事には帯同せず、工事後半に図面がしっかりできているかを数日チェックしに行こうと予定している。

 そして、メインは首都ティンプー隊員として、「図面作成」と「分岐箱の改良」の2点に絞って集中的に自分の活動をやっていく構えである。

以  上



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