山国ブータン王国−57(タクサン僧院の火災)

1998年4月27日

日本の新聞に、

「仏教王国ブータンの最高聖地のタクツファン僧院(写真入り)で19日に火災が起き,約1200年の歴史を持つ建築物に大きな被害が出た。」

という記事が記載された。

 1998年4月26日(日)タクサン僧院がどうなってしまったかを、どうしてもこの目で見たくなり、一人でタクサンへ見に行った。この日、朝7時にティンプーの自宅を出発し、9時にパロのタクサン登山口に到着、早速登山を開始した。

 最近、天気がぐづつき気味であったが、この日は晴れで気温も上がりいい天気であった。登山口からもタクサン僧院は、遠く崖にへばりついて見えたのだが、やはり遠すぎてなんとなく「建物がなくなったな」といったくらいにしか見えなかった。

 もう7ヶ月にもなる平日の出張生活のおかげで、自分の体力は万全だったのと自分のペースで登ることができたため、かなりハイペースとなり、その結果何と1時間45分でタクサン僧院付近までいってしまった。

 タクサン僧院付近には、ブータンの軍や警察の部隊が火災の後処理と再建のため、テントや仮住まいを造っている所であった。登山の途中では、20人くらいの軍や警察の復旧員が、寝袋をかついで登っているところにもでくわした。多分、彼らは山頂付近のテントで数週間生活するのだろう。


写真:ほとんど焼けてしまったタクサン僧院

 近く(崖の向かい側)から、焼けてしまったタクサン僧院は、廃虚同然の姿であった。少し離れていたため燃えずにすんだ1つの建物を除いて他の5、6あった建物はすべて燃えてしまって、レンガ部分が少し残っているだけの悲しい姿となっていた。ここは、去年の9月にブータン人と一緒に登った時に建物の中にも入ることができ、私もブータン最高の神秘的な文化遺産と思っていた場所だったのでこの外観の変わりようは、ただただ悲しかった。

 さらに、いったん崖のような急な下り道をおりて、焼け跡まで行こうとしたところで、軍の幹部らしき人物に止められてしまった。そして、

「おまえのツアーガイドはどこだ?」「1人で来ました。」

「おまえは何者だ?旅行者か?」「いや、ティンプーに住んでます。」

「ここより先は立入禁止だ。今、後処理の最中だし、焼け跡には貴重な遺産や遺物がたくさんある。ここでなら見てもいいから、見たら帰れ」

「少しだけ写真をとってもいいですか?」「だめだ。おまえのような外国人が撮った写真や記事が世界をにぎわすことに対して、国王は怒っている。

ここは、我々ブータン人にとっては最も聖なる場所なのだ。その場所が燃えてしまったなんだかんだと外国人たちにあれこれ騒いでほしくないのだ」

「ここは、また建て直すのですか?」「もちろんそうだ。」

 と数分程度、私のまだ怪しい英語で話しをした。それにしても、写真を撮ってもいいですか、と聞いたのは失敗だった。この質問によって、この会話の後も引き返すまでずっと監視されてしまい、ついに写真を撮れなかったのはちょっと残念だった。

 帰りの下りは、1時間5分で登山口までだとりついた。結局、今日の登山では、1人も観光客とすれ違わなかった。今は春の観光シーズンでもあり、たくさんの観光客がタクサン登山に挑戦していてもいい筈なのに、観光客は誰もいなかった。ここで、私ははじめて気づいた。「火災の後、外国人のタクサン登山は、しばらく禁止になったに違いない。だから、あの軍の人物も、最初にガイドはどこだと聞いてきたんだ。」

 そう考えると、ちょっとトクをしたような、いいものを見れたような、そんな1日だった。



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