山国ブータン王国−52(河川横断)

1998年3月16日


写真:プナカ出張生活での寝床(右端)

 プナカの通信線新設工事は順調に進み、ここまで14kmの通信ケーブル(うち地中3km)を張り終えて、あと2、3日で終りそうな気配である。

 1998年3月13日(金)の朝、川を横断するルートを架線することになった。しかし、今回はこれまでの河川横断と訳がちがった。というのは、これまでの河川横断はすぐ近くに橋があったり、川の水深が一番深い所でも1mも無く、泳がなくてもなんとかケーブルを通すことができたのであるが、今回の区間は近くに橋が無く、川の水深も深い所で2〜3mあるので、これまでのようにはいかなかった。

 さあ、誰が川を渡って対岸にケーブルを通すか、ということになった。川を渡るにはどうしても泳がなくてはならない。川幅は約50m。もちろん川なので流れも結構早く、うだうだ泳いでいると下流に流されてしまう。

 ここで、一言ブータン人について説明すると、ブータン人たちは日本人とちがって学校で体育の授業がなく、当然水泳の授業もない。プールというものも、首都ティンプーにたった1つあるだけで、地方には全く存在してない。

 したがって、ブータン人の「スイミング」の意味は、川での水浴びにほとんど近い。もし泳いだとしても「犬かき」になってしまうという。そいえば学生時代(詫間高専)の時、同じクラスにフィリピンとタイからの留学生がいたのだが、彼らも水泳の授業の時、犬かきでしか泳げなかったのを思いだした。

 結局、日頃から「泳ぎは得意だよ」とメンバーに話していた私が、川を渡ることになってしまった。彼らでは、おぼれる危険もあり不安だったので、しょうがなかった。河原で、服もズボンも靴も脱ぎ、トランクス1枚となり、ズボンのベルトでケーブルを腰に固定すると同時に、トランクスが泳いでいる最中に脱げないようにした。結構なさけない格好である。

 水は、やっぱりとても冷たかった。しかし今さらやめるわけにもいかなかったので、気合を入れて首までつかり、そして泳ぎ始めた。泳ぎ始めると水の冷たさは気にならなくなった。1分もかからずに難なく川を渡りきり、対岸はちょっとした岩場だったので、帰りはそこから飛び込んで戻った。当然、彼らは飛び込みができないので「おおー」という雰囲気で見ていたのが印象的であった。もちろんこの夜は、酒を飲みながらこれが話題となった。

 河原に戻って、服を着ようとして足元を見ると、どこかで足を切ったらしく血がだらだらと流れていた。しかし、この日でシャワーを5日間浴びていなかったので、体のネトネトした感じがとれてすっきりした川泳ぎであった。



< つづきへ >