山国ブータン王国−25(野宿生活2)

1997年9月30日

 1997年9月29日(月)夜、ティンプーに帰ってきた。といっても野宿生活から逃げて帰ってきた訳ではなく、ティンプー本局からパロ工事部隊にお呼びがかかったからである。この2・3日間でティンプーへ一気にケーブル材料類(コンテナ25個)が日本から到着したため、どうもそれを整理しろということらしい。ということで、今週はティンプーにいることになった。

 9月23日からの野宿生活2週間目は、いきなり腹を壊し、胃を痛めてかなり調子を崩した。胃が痛いのは、ブータン料理がとても辛いためだ。しかし、ここで食を細くすると、また体力が無くなりそうなので、それでもしっかりと食べた。幸いたった2日で回復し、その後は快調に過ごすことができた。

 また、天井から水が降ってきて使えなかったトイレも、誰かが修復して水が止まり使えるようになった。これで、現場で突然の下痢でない限り、野ぐそから開放された。一方、シャワー対策も、毎日夕方にタオルで体を拭くようにして少しだけでも快適になるようにしている。

 作業の方は、今週もルート選定と建柱作業を行った。その合間に私は、今週ティンプーから持ってきたパロの地図(5万分の1を拡大コピーしたもの)とコンパスで、ルート図の作成にもとりかかった。が、どうもうまくマッチしない。自分では、配電ポールマップ並のルート図をイメージしているのだが、原図が5万分の1のため道が実際よりも太かったり、一般道や橋が地図に載ってなかったり、目印が少なすぎて日本のように簡単にはいっていない。農地を縦断するルートなどは目印になるものがほとんど無いので、仕方なくコンパスで方向を求めるしかないが、それで地図にプロットしても数度ずれてしまう。

 ここで疑問がわいた。「日本では地図上の真北に対して方位磁石が差す北は、約7度西にずれているが、ブータンではどうなんだろう?」いくつかの目標物で確認したのだが、ずれが0〜9度までさまざまではっきりした値がまだ出ていない。

 週の後半には、パロにも日本からケーブルが到着し、そのケーブルドラムの引き降ろし作業に追われた。というのも、トラック14台で76個(距離にして約48km)のドラムが一気に到着したからである。たった1台のユニック車をフル稼動して、延べ丸1日かかった。

 ここは、近くの空き地にすべて降ろすことができるので、資材置き場には困らない。そのケーブルドラムは、今子供達の遊び場になっている。

 その夜、我々の住むタコ部屋でチームのボスとお酒(ブラックマウンテンのペプシー割り)を飲みながら、工事について語り合った。その中で、ボスは「線路部門は電話網拡充工事の中で一番きつい部門だ。農地・傾斜地・ガケなどを歩きまわって、土を掘り、岩を砕き、鋼管柱をかついで運び、人力で建柱する。おれたちには、建柱車・パケット車を持ってない。もし、あったとしても道路沿いのルートはわずかなのであまり使えないもんな。このペースだったら、おれたちパロに半年も住むことになりそうだな。」などと話していた。「私もそう思います。ははは。」と言いながら、正直なところ心の中では「おい、半年もこんな野宿生活冗談じゃないぞ!」と思った。

 このボスは、なかなかいいおやじである。暖かみがあるし、うまくこの工事チーム全体をまとめている。いい人にめぐりあえたなと思っている。

 10月になり、だんだん寒くなってきている。特に夜は急に冷える。この進捗状況だと、たぶんシェラフで冬を越すことになりそうな状況である。パロの冬はどのくらい寒いのだろう?楽しみであり、心配である。



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