山国ブータン王国−19(卓球大会)

1997年9月2日

 今の時期はブータン王国でも、種々のスポーツ大会が開催されている。とはいっても、サッカー、バスケット、卓球の3種目だけだが。

 女子サッカーでは、7人の日本人とオランダ人・イギリス人のボランティア達で構成された、女子総合ボランティアチームがこのトーナメントに出場し、見事ベスト4に進出、1997年8月27日(水)に行われた準決勝では平日にもかかわらずスタジアムには約2千人の観衆が入り、ものすごい盛り上がりを見せた。この試合は、結局1−1のまま延長になっても決着がつかずPK戦となる展開で、結果は負けてしまったが、カメラマン兼実況解説を担当した私をとても熱くさせた試合であった。(うるさすぎて警察に一時移動させられてしまった。)

 一方私自身は、卓球大会に出場した。この大会名は「船越−ブータンフレンドシップテーブルテニスチャンピョンシップス」という長い名前で、要は3年前の広島アジア大会でブータン選手団が、広島市安芸区船越の人々にとても親切にしてもらったのをきっかけに友好の印として始まり、今年で第3回の開催となった。私の卓球歴は、中学校時代に3年間やった経験があるだけではっきりいって11年ぶりであり、ラケットとラバーも13年前のを使うため、試合をしてみなければ分からないといった状態であった。

 1997年8月29(金)に行われたオープンシングルス1回戦、相手は14才の女子中学生であった。「1回位は勝つ」と気合を入れて挑んだが、21−18,14−21,21−23で結局負けてしまった。特に第3セットは21−20でいったんはマッチポイントをにぎったが、ウイニングスマッシュがおしくも外れてその後逆転されてしまった。

 その後「中学生の女の子に負けた」とブータン人達からバカにされ、笑われ、本当になさけない日となった。この夜もくやしくてくやしくて酒を飲んでもなかなか眠れず「おのれーあの小娘め」と何回もつぶやいた夜だった。

 1997年8月30日(土)はダブルスに出場した。パートナーは同じ協力隊の日本人であり、この方は結局オープンシングルスで優勝した強い人である。このダブルスはパートナーがうまいせいもあって、順調に接戦をものにしながら勝ち進みついにベスト4に進出した。準決勝では第1セット21−15で取り、第2セットも11−4と楽勝ペースだったが、運動不足と空気の薄さで急に足が動かなくなってしまいまさかの逆転負けをしてしまった。

 しかも、相手の片方はあのオープンシングルスで負けた女子中学生だった。このペアーは決勝も勝ち優勝した。後で聞いた話だと、この女子中学生はブータンジュニアナショナルチームの一員で海外遠征の経験も何度かあるらしい。

 総評として、ダブルス3位入賞という結果は満足であったが、あの女子中学生にどうしても勝たなければ気がすまなくなった。「あの小娘を倒すまでは日本には絶対帰らん!」と、この先の目標ができた大会であった。

 この大会は、一応ブータン全国大会であった。そのダブルスで私が入賞できてしまう点でも、ブータンのスポーツレベルの低さを感じ取ることができた。



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