山国ブータン王国−14(合格発表から一年)

1997年8月20日

 ちょうど1年前の1997年8月14日、2次選考試験の合格通知が寮に届いた。今でも覚えているが、実はこの合格発表の前日まで自分が本当に合格したいのか(本当に行きたいのかどうか)心の中でかなり迷っていた。

 「本当は落ちた方が、いままでどうりの生活でほっとするのではないか?」

 「先進国ならまだしも途上国で2年間も自分の体がもつのだろうか?」

 「奇妙な病気や交通事故・犯罪に巻き込まれて死ぬかもしれないが、それでもいいのか?」

 実際、これまで約1万7千人の青年海外協力隊員が世界の開発途上国約55ヶ国に派遣されているが、このうち交通事故・病気などで51人が亡くなっているのも事実である。

 結局、自分の心の中で「俺は本当に行きたいのだ」と決心をつけたものは、ただの”好奇心”であったような気がする。知り合いの先輩隊員が言っていた「とんでもねえ所だった。」がどうしても聞くだけでは理解できなかった。「実際に行ってみて現地で体験しなければ絶対分からない。見てみたい。」で決心がついたのが1年前の1996年8月13日の夜であった。

 合格発表で初めてブータンという国を聞いた。最初は「アフリカの国かな」と思って世界地図で調べてみたらアフリカではなくアジアだった。

 青年海外協力隊というのは、「世界の最貧国で、とんでもない生活をしてまででもボランティア活動したいという、まじめな集団」など、変なイメージだけが先行しています。自分も「応募の手引き」や「説明会」の段階まではそんなイメージでしたが、帰って来た先輩の酒を飲んでの話や、実際に訓練所ですごした同期たちは、まじめとは全く逆で、元気と行動力を持ったとても「変な人達」でした。

 この「変な人達」は悪知恵がよく働きます。というのは、他の人では想像できない変ったことをよく考え出します。表には出ませんが、みんな日本にいる時もそしてそれぞれの任国でも、とんでもないことを平気でしでかしています。いろんな体験談(失敗談)で笑わせてくれます。これでかなり私も元気づけられました。

 訓練所生活で土曜日の夜だけ駒ヶ根市の繁華街で酒を飲む事ができたのですが、この帰りに駒ヶ根駅前から訓練所に行く貸し切りバスは、駒ヶ根市民から通称「きちがいバス」と呼ばれ、窓から吐く、荷棚で寝る、窓から叫ぶ、脱ぐ、騒ぐなどなどすごいもんでした。

 国際協力事業団からは「任国においては、国の代表として協力隊らしい節度ある態度で接してください」と耳にたこができるほど言ってきます。国際協力事業団は、協力隊以外にも専門家、調整員などでたくさん海外に派遣していますが、やっぱり一番問題を起こすのが、一番若い世代の青年海外協力隊員なのです。公用パスポートの紛失率が一番高いのも協力隊であり、まあいろいろとやってくれています。当然いろいろなチェックが入ってきます。

 しかし、短所は反面長所ともなり、この若いパワーを持って現地の人にも、そして日本に帰ってきてからも一番目立っているのも青年海外協力隊員だといえます。いろんなイベントを企画して作りあげ、現地の人を喜ばして元気づけているのもまた協力隊員だと思います。

 結局結果がどっちに転ぼうと、思ったことを行動に移してしまうのが協力隊員の本質かもしれません。それは、決して「まじめ」なのでは無く「自分に素直」なのかもしれません。やっぱり変ですが。。。 



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